サッカー

ドーハの悲劇

華々しく開幕したJリーグは、それまでプロスポーツとして揺ぎ無い人気を誇っていたプロ野球に迫る勢いで、一大ムーブメントを起こした。
観客動員・関連商品の売り上げ・テレビ中継視聴率なども飛躍的に伸び、列島を駆け巡る社会現象になった。
そしてこの開幕の年、日本サッカーを語る上で決して忘れてはならない、歴史の一場面「ドーハの悲劇」が起こる。
1993年10月28日、カタールのドーハで、日本代表はイラク代表と戦った。
1994年アメリカワールドカップ・アジア地区最終予選であり、このイラク戦に勝てば、悲願の本大会出場が決定するという大一番。
ところが、2−1と勝利を目前にした後半ロスタイムに、イラクの同点ゴールが入り、そのまま試合は引き分けとなってしまった。
これによって、日本代表は得失点差で韓国に敗れ、予選3位。
アジア地区からは2チーム選出だったため、W杯初出場を逃してしまったのだった。
しかし、この年を境に、日本サッカーの認知度・人気等は不動のものとなり、外国人プレーヤーや指揮官を招聘してレベルを向上させていくという、現在の日本サッカーの礎が築かれた。
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日本サッカーリーグ

日本サッカーのレベル向上を目的に、社会人クラブで構成する「日本サッカーリーグ」が1965年に発足した。
略称「JSL」。日本において、アマチュア競技で全国レベルのリーグ戦を行ったのはサッカーが初めてであった。
その後、1968年のメキシコ五輪で日本代表が銅メダル獲得し、サッカーは人気を博す。
リーグでは、ヤンマーディーゼルと三菱重工が実力を二分し、釜本邦茂(ヤンマー)や杉山隆一(三菱)といった実力ある選手も注目を浴びた。
だが、国際戦で日本代表の成績不振が続き、観客動員も低迷の一途をたどるようになる。
こうして、1970年代、日本サッカーは長い冬の時代を経験する。
1980年代、読売クラブや日産自動車といった強いチームが再び台頭、タイトルを独占し、サッカーファンの賞賛を浴びた。
一方、日本サッカーリーグのプロ化に向けた動きが本格化、1989年には、プロリーグ検討委員会が設立された。これによって「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)の発足が決定、1992年3月29日の最終節を持ってJSLは廃止され、これが発展した形で、1993年5月15日、Jリーグが開幕した。
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